昨年、市が男女共同参画事業で行ったイベントにおいて、
2児の母であり、エッセイストの小島慶子さんが登壇されました。
私は小島慶子さんを尊敬しています。
なんていうか、活躍する女性の中でも
知性と品性、そしてしなやかな強さを感じ、共感できるからです。
(政治の場にはあまりいないタイプの女性だと思います。というか、ほとんど。)
何よりも、私は小島慶子さんに救われたことがあります。
VERYという雑誌のコラムにて。
(引用)
そうだ、3.11の震災のときにも思ったんだ。
微量のセシウムが入っていることを承知で家族の味噌汁を
作らなければならなかったとき、煮干しと一緒に鍋の中で
透明な放射性物質が煮えていくのを見ながら、
私は初めて、半世紀以上前に子育てをした人たちの
大変さを想像しました。(中略)
間違ったことを信じろ、信じられなくても、声を上げるな。
そういう世の中で、戦争がまるで自分の意志であるみたいに思い込んで
やってくしか、毎日を暮らせなかった時代がついこの前まであったのですね。(中略)
その後の経済発展のおかげで私も平和で豊かな日本の子どもとして
大きくなれたけれど、本当はまだ終わってないんじゃないか。
深い深い傷跡を見ないように、なかったことにすることで
なんとかごまかそうとする心性は、壊れた原発のふたが開いたままの
日常を見ないで、なかったことにしかけている今の状況にあらわれている。−2015.VERY 8月号-
この文章を涙を溜めながら読みました。
心の中を代弁してくださったような気がしたからです。
そして、VERYという都会的なファッション誌で「原発」「セシウム」「戦争」
そういった社会問題に正面から触れる勇気に驚かされました。
誰しもタブー視されているものに触れるには覚悟がいります。
今でも、これらのことがどれほど自分の勇気になっているかわかりません。
自分らしい切り口で、おかしいと思うことを言っていいんだ。
過激なものが多い既存のやり方に共感しないならば、柔らかく自分らしく言えばいい。
そんな風に思うことが出来ました。
そんなこんなで、登壇している小島慶子さんを一般席からギラギラした目で見ていたのですが、
なんと帰りがけにエスカレーターでご一緒になったのです。
なんとか感謝を伝えたいと思い、名刺とVERYのコラムが勇気になったことだけお伝えして
帰途につきました。
するとしばらく経ってから、お手紙と本が送られてきました。
震災後のVERYのエッセイは私にとっても忘れがたいものです。
それを覚えていて下さったことがとても嬉しかったです。
直筆のお手紙とともに、「るるらいらい〜日豪往復出稼ぎ日記〜」という
新刊が包まれていました。
まさか、お手紙をいただけるなんて1ミリも思っていなかったので、このお心遣いに仰天しました。
そしてまた大きな勇気をいただけたのでした。
小島慶子さん、ありがとうございます。
お手紙と本、大切にします。
そして、これからも正しいと思うことを模索しながら
頑張っていこうと思っています。