やさしいまち、つながるまち市民集会を実施しました

やさしいまち、つながるまち市民集会を実施しました

2023-12-13

公会堂。平日の夜だったため、どのくらい来ていただけるか不安でしたが

無事ほぼ満員、約300名(立ち見あり)の皆様に

ご来場いただきました。

ありがとうございました。

杉並区長 岸本聡子さん。

元農水大臣 山田正彦さん。

私の最初の政治の先生です。

前市長 松下玲子さん!

世田谷区長の保坂のぶとさんからは、先約がありご欠席でしたが、直筆メッセージをいただきました。

ママ友、3児の母、松本佳奈さん。

2歳から一緒に子育てをしている、同志の中野絵美さん。

パパ友、2児の父、寄宗幸司さん。

私の決意表明。

(本文の一番下に載せます)

松下玲子前市長と、邑上守正元市長。

市議会議員の皆様、来てくださってありがとうございます。

(深澤達也さん、川名ゆうじさん、本間まさよさん、橋本しげきさん、三島杉子さん、西園寺美希子さん、山本ひとみさん、さこうもみさん)

市外からは、岸田正義さん、高田まさよしさん、しょうじさとしさん、石田ゆたかさんが

来てくださいました、ありがとうございました!

市議補選に挑戦を決意されている

菅源太郎さん、鈴木なりささんも来てくださいました。

設営してくれたみなさん、短時間での準備にも関わらずありがとうございました!

・・・・(お話したこと)・・・・

今回、武蔵野市長選挙に挑戦する決意をいたしました、笹岡ゆうこでございます。

37歳、武蔵野育ち、中学生の子どもの子育てと父親の介護のダブルケアをしています。

邑上市政12年間、松下市政6年間、計18年続いてきた市民が真ん中の武蔵野市を、新しい力で一層発展させていくべく、勇気を出してここに立っています。

邑上元市長・松下前市長、そして市民のみなさんが、共に積み上げて来た、人権・平和・緑・市民参加を大切にする想いを受け継ぎ、若い世代の新しい価値観もプラスしながら、みんなで前を向いて未来に挑戦できるまちをつくりたいと思っています。

私自身のことをお話させていただきます。

中央幼稚園・第一小学校・立教女学院・立教大学を卒業しました。大学で異文化コミュニケーションやマイノリティ文化研究を専攻、卒論は大好きなまち「吉祥寺の社会学〜トカイナカの未来〜」にしました。

大学で人生の恩師に出会いました。亡くなった立教大学の名誉教授である阿部珠理先生が、「人との縁を紡ぎなさい」という言葉を残してくださり、この言葉が私の人生の一つの指針になっています。

新卒で住友商事に入りました。当時から3年間の育休を認めていたため長く勤めるつもりでいましたが、切迫早産でやむなく退社しています。

出産は3ヶ月24時間点滴の絶対安静で、トイレにもなるべく行かないように、体も横にしたまま、薬の副作用で手を振るわせながら、ご飯を食べました。少しでも長くお腹の中に留まっていてほしいと毎日祈っていました。出産時もNICUとGCUのお世話になり、産後の回復にも苦労しました。

妊娠と出産を通じて、子どもが生まれるということは決して当たり前でも、簡単なことでもなく、奇跡の積み重ねであることだと、身をもって実感しています。だからこそ、子どもは社会の宝だと感じます。

子どもが赤ちゃんの時、東日本大震災と原発事故が起こりました。日本が、世界が経験したことのない未曾有の出来事がいくつも重なり、私の価値観も揺れ動きました。

自分の子どもだけが良ければいいのではなく、子どもたちの世代や未来の社会全体まで視野が広がりました。

子どもたちの世代によりよい社会を受け渡すには、政治に無関心でいてはだめで、おかしいと思った時にはおかしいと声を上げなければいけないと考えました。

2014年ご縁があって、山田正彦元農水大臣の政治塾に通い始めました。勉強を続けていく中で、自分たちの声を代弁してくれる人が見当たらなそうであれば、新しい選択肢を自分で作っていく必要性を感じました。

当時最大限の勇気を振り絞って29歳で市議に初挑戦し、初当選しています。朝晩一人で駅に立ち、支持を広げる努力をしました。

子育て世代の声を細かく聞いていくことに尽力した1期目でした。2期目は迷って迷って、でも出馬をせず、家族みんなで過ごすため夫の赴任先であるブラジルに引っ越しました。

市議会議員としてのキャリアを一旦置いて、当時小3だった子どもと、犬と猫とを連れて、30時間以上かけてブラジルに行きました。

トランク6個・180キロの荷物と、疲れ切った子どもと犬と猫と、緊張しながら空港を彷徨いました。これから始まる新生活への大きな不安の中で、見たこともない深いオレンジ色の巨大な夕陽が迎えてくれました。

ブラジルでの生活は多文化共生を実感するものでした。他民族国家なので見た目も色々、ドラックストアには様々な色の絆創膏がありました。武蔵野を飛び出て、初めて「外国人」「アジア人」「日本人」になりました。ポルトガル語の言語の壁にもぶつかりました。拙いポルトガル語を駆使して一生懸命コミュニケーションを取りました。

異なるものを認めること、違いを超えて共に生きること、ブラジルのみなさんに教えていただきました。

外で携帯電話を出すと強盗に遭うくらい治安は悪かったのですが、とても魅力的な国民性でした。

そして、武蔵野を離れ、日本を離れ、改めてふるさとへの望郷の念が強くなったと共に、日本のいいところも改善できるとことも気づけるようになりました。

この3年間の海外経験で少し視野が広くなり、私自身も鍛えられたと思っています。

帰国後、もう一度市議に挑戦し、今回も大きな決断をしました。

私は、邑上元市長・松下前市長と市民の皆さんの18年間の想いのバトンを受け取り、新しい力で武蔵野の未来を切り開いていきたいと思います。

決して古い政治に戻ることなく、この先行き不透明な世の中を、みなさんと共に、ポジティブな力で、自治を大切にしながら駆け抜けていきたい。

37歳、真ん中の世代として、上の世代からいいものを受け継いで、私たちらしい新しい価値観もプラスしながら、子どもたちの次の世代により良い武蔵野を繋いでいきたいと思います。

コロナ禍で途切れてしまった地域の横の関係も、ゆるく、ひろく、やさしくつながって、再構築していきたい、そう思います。

私が掲げているのは、子どもからお年寄りまでの、全ての世代のニーズに対応できる全世代型の地域包括支援です。

安心して産み育てられることはもちろんのこと、子どもたちが大切にされたという実感をもって翔けるまちを作ります。

不登校・行き渋りへの支援と、学習機会の確保の推進、療育を含む子どもの育ちを支える施策、子どもの安全と居場所など、母として、当事者目線で子育て施策をパワーアップします。

これまで半世紀に渡って大切にされてきた学校給食の食の安全を守り、それを条例化しながらの給食無償化を目指します。

また、父の介護を見ていて思います。

父の着替えを手伝いながら、父の足の爪をはじめて切りながら、弱っていく姿をみながら思います。

誰もが、人生の先のどこかに「老いる」という時期があり、誰かの支援を必要とします。

日常のちょっとした困りごとから、看護・介護まで、何より大事なことは、「その人らしさ」を大切にして、尊厳が守られることだと感じています。

本市に多い、独居の方でも、老老介護でも、私のような子育てと介護のダブルケアでも、誰もが安心してその人らしく暮らせるまちをつくります。

在宅支援や総合相談窓口、認知症対策、孤立防止対策、ケアに関わる人材への支援を進めます。福祉公社などの財援団体や民間とも力を合わせて地域包括ケアを進めてまいります。

また、若い世代や働く世代において、これまで支援のはざまにいる方々も、ケアが必要な方にはしっかりとケアが届く地域のネットワークを作ってまいります。コロナ禍で生きづらさの輪郭がはっきりし、困窮状態に陥って苦しんでいる方々への自立支援も一層進めてまいります。

子育てと介護のダブルケアをしていると申し上げると、市長が務まるのかと言われます。

男性には向けられにくい言葉だと感じます。

今は時代の過渡期だと思っています。女性が活躍しにくい世の中を本気で変えなければいけない。そして、性別も属性も様々で、色々な特性を持った一人一人が自分らしく活躍できる世の中にして、子どもたちの次の世代に受け渡していきたいと思っています。

当事者目線で、生活者目線で、細やかなしなやかな強さをもった市政をつくっていきたいと思います。

みなさんと共に、前を向いて、やさしいまち、つながるまちの実現を。

時代にきちんと順応できる、未来志向のまちの実現を。

本日はありがとうございました。