前市議会議員の笹岡ゆうこと申します。
武蔵野市長選に挑戦する決意をここに表明いたします。
- 議員辞職について
議員辞職は11月30日付で提出いたしました。
この日の理由は3つあります。
1つは、確実に市議の補欠選挙を行うこと。
市民の声を代弁し、市政に届けるための議席が空席になるのは、市民代表の議会としてあるべき姿ではないと考えました。
自動失職で空席をつくるべきではありません。
2つ目は、議事日程に影響をなるべく及ぼさないことです。
今回は特別に短く変更された議会の日程になっています。
12月5日からの開会中に辞職届を提出すると、一旦議事を止めて議会運営委員会を招集し、議案として取り扱う必要があり、予定されている議事日程を遅らせてしまうことが、事務局とのご相談で分かりました。
それまでは12月5日に一般質問をしてから辞職をしようと考え、早めに一般質問通告書を提出していたのですが、議事日程を遅らせないためには、12月議会が始まる前に辞表を提出する必要があることがわかりました。
3つ目は、12月1日に在籍していたら期末手当が発生することです。
この間の物価高騰で市民生活が圧迫されていて、日常のお買い物も値段を見て購入を諦める方がいたり、
食費や暖房費を削ったりしている方々も多くいます。
ここ数日の違いで期末手当が発生し、
受け取り後まもなく辞職するよりは、先に辞職をし、期末手当を受け取るべきではないと考えました。
発表が前後したことはこのような事情があることをご理解いただけますよう、お願い申し上げます。
- プロフィール
私は武蔵野育ちです。中央幼稚園、第一小学校、立教女学院中学校・高等学校、立教大学社会学部を卒業しました。
大学では異文化コミュニケーションやマイノリティ文化研究を専攻しました。
卒論は『吉祥寺〜トカイナカの未来〜』という題名で、大好きなまち吉祥寺をテーマにしました。
新卒で商社に入り、当時育休が3年間も取れる会社でしたので長く勤めるつもりでしたが切迫早産で退社をしております。
3ヶ月間、24時間の点滴治療をし、出産時にはNICUとGCUにお世話になりました。
子どもが生まれるということは当たり前ではなく、奇跡の積み重ねであることを、妊娠と出産を通じて、身をもって実感しました。
政治に興味を持ったのは311の原発事故がきっかけです。
日本が経験したことのない危機に幾重にも襲われ、多くの方が傷つき、国民も分断されたように
感じました。
政治と生活は離れているようで実は密着していることに改めて気づきました。
私は当時赤ちゃんだった息子を抱えながら、子どもたちの世代によりよい社会を受け渡すには、おかしいと思った時におかしいと声をあげなければならないし、大人としてその責任がある、と真剣に考えました。
山田正彦元農水大臣の私塾に通い、2015年に市議会議員に初当選しました。
武蔵野市議会では当時唯一の20代〜30代女性議員として、子育て世代の声の代弁に努めました。
二期目は、出馬するかどうかぎりぎりまで迷いましたが、一旦自分のキャリアを横に置き、夫のブラジル駐在に帯同しております。
子どもが小さい時はあっという間に過ぎ去る大切な時期であると考え、家族一緒に海外生活をすることを決断をしました。
結果的に勇気を出してブラジルに行ってみてよかったと思っています。
ブラジルでは、自分自身が初めて「日本人」や「アジア人」というマイノリティになりました。
多文化共生社会のブラジルで寛容や多様性がなんたるものかを教えてもらったように感じます。
また、コロナ禍をブラジルで過ごしたことにより、公の役割の大切さも痛感しました。
そして慣れない異国での生活に、私自身も鍛えられました。
帰国後、市議選に再挑戦し、再当選させていただきました。
・武蔵野の未来へむけて
簡単な決断ではありませんでしたが、
18年間続いた邑上・松下市政が大切にしてきた、
平和・人権・多様性・福祉・市民参加を受け継ぎ、新しい価値観をプラスしながら、未来志向で一層発展させていきたいと考えています。
先人たちが大切にしてきた思いを受け継ぎ、時代に柔軟に対応しながら、1人1人を大切にする、やさしく、しなやかな自治体にしていきたいと思っています。
真ん中の世代として、上の世代と下の世代の橋渡し役を務め、
子どもたちの世代により良い武蔵野をつないでいきたいというのが、私の思いです。
私は子育てと介護のダブルケアの目線で、
つながるまち、やさしいまちを作っていきたいと考えています。
掲げているのは「子どもからお年寄りまで、全ての世代のニーズに応える、地域包括支援」です。
現在システムのはざまにいて困っている人を網の目のような地域ネットワークとチーム力をもって、子どもからお年寄りまで、全世代型で包括支援ができるまちを作りたいと思います。
私も子育て世代の当事者として、日々の大変さや忙しさや、「まぁなんとかなるでしょう」となかなか思えない世の中への漠然とした不安感を抱えています。
安心して産み、育てられる武蔵野はもちろんのこと、子どもたちが「大切にされた」という実感をもってはばたけるまちを作っていきたいと思っています。
そして私は市内の親の介護の手伝いをしているダブルケア当事者でもあります。
2025年に団塊の世代が75歳以上を迎えます。
歳を重ねても安心して「その人らしく」暮らせるまちをつくっていきたいと思っています。
老々介護でも、独居でも、ダブルケアでも安心して暮らせる在宅支援を進めます。
政策については今後より詳しく掲載する予定です。
育てていただいた大好きな武蔵野に全力で恩返しをしていきたいと考えています。
2023.12.2 笹岡ゆうこ